21:浦和の屋台骨は選手一人ひとり

 まず、このような機会を与えていただき感謝いたします。正直あまり思い出したくない記憶なのですがやはり残さねばならないでしょう。
 自分は32歳でした。今となっては1999年はすべてにおいて油断が入ったとしか思えません(もちろん私も)。前年のスーパールーキー小野伸二の加入による躍進で、誰もが明るい99年を想像したのは当然でした。今年こそ優勝と意気込んでシーズンインしたものの思うような結果が出せず監督解任、サポーターの結束に動揺が起きてき始めました。
 本当に自分がまずいと思ったのは国立の清水戦(8月21日)、最後に致命的な3点目が入って選手がピッチに寝そべってしまったことです。この試合はよく覚えてます。気持はわかりますがもう少し闘志が欲しかったかなと。覇気がなかったとも言いますが。
 そして駒場の市原戦、福田正博の奇跡的なゴールが決まって当面の敵を沈めた時が2度目の油断でした。おそらくですが人は一番得意なことをしている時が実は一番油断しているのではと10年たった今では思うのです(でも嬉しかったなー)。そして平塚にも勝ち、あの等々力で勝ち切れず広島戦に気持を託したのですが…。自分はラジオで聞いていて、J2行きが決まった瞬間の運転していた場所まで思い出されます。試合を見に行った父がその20日後に事故で急死したことも。
 どうすればチームをJ2に落とさずにすむかなどと実は私にはわかりません。ただ言えるのは戦術や個人技よりも闘志と浦和愛をプレーで示す選手がいなければ、案外2部は近い所で口を開けているのかもしれません。なぜならあの時福田、ペトロ、石井俊也、伸二、チキがいながら残留出来なかったのですから。福田正博のように2度も2部へ行く悲劇だけは繰り返さずにしてほしいのが私の願いでもあります。今の浦和の屋台骨は誰か?それはほかでもない選手一人ひとりであると断言できます。当面の敵であった市原も10年経て2010シーズンはJ2です。どうしてジェフを笑えようか!
 未来や過去よりも今を積み重ねることがよりよい未来を創るのではないかと思うのです。明るい未来を信じてWE ARE REDS!
(男性/当時32歳)
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