第1回ゲスト : 塚本高志さん その1

組織の中に壁があってはいけない 

多彩なゲストをお招きしてお送りする「トーク!トーク!トーク!」。第1回は、2001年6月から2002年6月まで、浦和レッズの第四代社長(代表)を務められた塚本高志さんにお越しいただきました。塚本さんは、現在郷里の岡山県で悠々自適の毎日を送っていますが、毎月一定期間上京し役員を務めている会社の業務も行っています。お話しがかなり長くなったので、まずは01年のシーズン終了時にチームの指導体制とクラブの強化部門の体制を一気に変更した、そのころのことを掲載します。

清尾 清風庵ホームページの最初のゲストとしてお越しいただき、ありがとうございます。

塚本 いろいろな雑誌に取材を申し込まれるんですが、全部お断りしてきたんです。社長経験者というのは、常に現役の社長のことを意識していないといけないと思いますから、私は他人の口を介して物を言いたくないんです。

言うときは、直接言う。それも相手から聞かれれば言うけど、あえてこちらから言うことはありません。トップのOBというのは、そういうものです。

清尾 それはよくわかります。今回、塚本さんにうかがいたいお話は、今のレッズに対する提言とかではなく、塚本さんがレッズの社長になられた前後の話、あるいは在任中の苦労話です。

塚本 なるほど、それならいいですかね。

清尾 僕が、前からお聞きしたかったのは、サッカー畑出身ではなく、かつ浦和に縁があったわけでもなかった塚本さんが、レッズ最初の隆盛の礎を作ることができたのはどうしてだろう、ということなんです。
2001年の6月に社長になられる前の1年間は常務取締役としてレッズに在籍しておられたんですよね。その間は何をされていたんですか。

塚本 じーっと眺めていました(笑)。

清尾 スタッフはけっこう嫌がっていましたよ。パソコンを見ていると、いつの間にか後ろに塚本さんが立っている、と(笑)。

塚本 とにかく、ひたすら眺めていたわけです。そして、何がいけないのか考えていました。
一番思ったのは、組織の中で壁ができていると良くない、ということですね。情報をトップにまで上げずに、自分のところで処理しようとすることがあります。上を煩わせないためということなのでしょうが、長い間それが続いていくと、すべてがそうなってしまい、結果的にはそれが最悪になることもあります。レッズでも、数年の間にそういう状況になっていったところがありました。
それで01年に社長になったとき、サッカーにど素人の自分がこのスポーツ会社で果たす役割は何だろう、と考えました。まず思ったのは、限りあるお金をどのように使っていくかという、その優先順位を決めるのは社長の専権事項だと。もう一つは、幹部の人事です。三菱自動車に決められるのではなく、自分が判断して組織のために良い人事をやらなくてはいけない。大きく言って、この2点でした。

しかし当時の社長の任期は6月末からスタートで、私が就任したのはシーズンの真っ最中ですから、組織の改編はそう簡単には行えないだろうと思っていました。ですから、何かを行うとしたらシーズンの終わりだろうと。

清尾 しかし社長に就任されて3か月も経たないうちに、当時のチッタ監督が電撃辞任しますね。

塚本 そのときのことを話しましょう。私は、その日軽井沢にいました。レッズのパートナー企業のゴルフ大会に呼ばれ、その前日から向こうに行っていたんです。そうしたら夕方の5時頃クラブの強化担当者から電話があって「チッタが辞めると言っています」ということでしたので、すぐ浦和に戻りました。もう夜の9時ごろになっていましたが、吾亦紅(われもこう=選手寮)にチッタを呼んで、まず二人だけで話をしました。
「あなたは、本当に辞めたいのか。私が辞意を撤回するように言ったら撤回する可能性はあるのか」と聞くと、何と「イエス」というんです。それで、チッタの本意がわかりました。

当時、彼はブラジル人スタッフとの関係があまりうまくいっていなかったのですが、社長が「監督として残れ」と明言したのなら、立場が強くなります。そういう作戦に出たのだと思いました。

清尾 辞める、と言うことで自分を引き止めさせる、捨て身の作戦ですね。

塚本 そこで、今度はチッタを外して強化の担当者と話をしました。「チッタは、俺が辞めるなと言えば辞めないと言っているが、どうなんだ」と聞くと、「しかし今のチッタには誰もついていきません」ということでした。チームが自分の思うように行っていないので、選手に自分の言うことがちゃんと伝わっていないのではないか、と通訳に言って大喧嘩し、それがきっかけでブラジル人選手たちもそっぽを向いてしまっていました。そんな関係でうまくいくはずがない、ということです。

清尾 僕たちも、通訳が練習に来ていなかったので、びっくりしたのを覚えています。どうも監督と周りがうまくいっていないようだな、というのは感じていました。

チッタは非常に真面目で、かつ神経質なところがあり、それまで僕が抱いていたブラジル人のイメージとはだいぶ違っていましたね。

塚本 強化の担当者も、このままではうまくいかないから、監督を替えるしかない、という判断でした。それで、後任はどうするんだ、と聞いたら、「ピッタ(当時コーチ)がエメルソンを完全に掌握していますし、彼に任せれば大丈夫です」ということでした。
そこで、またチッタと2人だけで話し、「日本には、“吐いたつばは飲み込めない”という言葉がある。あなたは辞意をみんなに明らかにしてしまった。それはもう元には戻らない。だから、ここで辞意を受理する」と伝えました。チッタとしては思惑が外れたのだと思います。

清尾 そんな心理戦のような攻防があったとは知りませんでした。

塚本 それで翌日、私の口からチームに直接伝えるために、大原に行きました。

行くと最初、ブラジル人選手3人が「社長にぜひ聞いて欲しいことがあります」とやって来ました。トゥット、アリソン、エメルソンの3人ですね。それで、まず彼らと話をしたのですが、「チッタとはやっていけません。チームがバラバラになってしまいます。監督を辞めさせてください」ということでした。私は「君たちの言い分は聞いた。しかし選手である君たちが、そういうことを言ってはいけない。君たちの気持ちは受け止めたが、今の話で方針を決めるわけではないぞ」と答えてから、すぐにチッタの辞任とピッタの監督就任を全員に伝えました。
監督の交代は、そういうことで終わったのですが、そのときに、現場の状況がそこまで悪化していることが私のところに入ってきていなかったことを重く見て、クラブの体制をテコ入れする必要があると思いましたが、しかしシーズンの途中ですし、ピッタ監督をうまくコントロールしなければいけない、ということもありましたから、すぐに体制の変更ということはできませんでした。

清尾 歴代監督の中でもピッタ監督は、一番目立たなかったです。

塚本 前任者のチッタが非常に多くのことを選手に要求していたのに対し、ピッタは練習中ほとんど指導らしいことをしていなかったですね。
そうこうするうちに、契約更改の時期が来ました。どうもピッタに来季を任せるわけにはいかない。替えよう、ということにはなりました。しかし後任候補を選ぶにあたって、社長である私のところに逐一上がって来なかったり、私の指示がなかなか実行に移されなかったりということがありました。強化の担当者には彼らなりの判断があったのでしょうし、一生懸命やってくれていたと思いますが、私がそれまで1年半浦和レッズにいて抱いてきたレッズらしさを実現するのには、だいぶ違ったところがあったのです。
そこで強化関係の担当者を替えることを決断しました。これについて個人を悪く言うつもりは全くありません。しかし結果が出なければ担当者が交代するのは仕方のないことですし、長い間続けてきたやり方を改めるためにも、体制を変えることが必要でした。

清尾 そこで新GMとして森孝慈さんに白羽の矢を立てたのですね。

塚本 実は森君とは、それまで話もしたことがありませんでした。とにかく社長の専権事項として、GMを自分で決める、ということだけをはっきりさせたのです。
森君に関しては、私も試合はしょっちゅう見に来ていたから顔は知っていました。そういうときに、みんなが森君を見る目つきや態度で、彼に対するリスペクトを大変感じました。同時に何でも話せている感じを受けました。選手たちも古いメンバーは同じ様子でした。
三菱時代にはドイツにサッカー留学した経験もあるし、日本代表監督の経験もある。レッズを辞めてからはマリノスやアビスパでさらに経験も積んだ。何より、レッズのスタッフからこれほどリスペクトされ慕われている。そういうことで、私の頭の中には森君に任せたいという気持ちが固まってきました。

清尾 どういう話をされたのですか。

塚本 浦和で会って、今のレッズをどう思うか、という話をしました。

私がそれまでレッズにいて感じていたのは、レッズを基本から叩き直さないとどうしようもない、ということでした。何より指導ができていませんでした。とにかく監督が替わり過ぎています。私の在任中も、チッタからピッタに替わり、その前年も斉藤監督から横山総監督へ実質交代です。その前の年も原監督からア・デモスへ。これではチームは作れないと思いました。
どの試合だったかは忘れましたが、あるとき自陣のゴール前でDFがボールにつられて全員動いたんです。そうすると逆に振られるとDFが誰もいない。そのとき解説者に「これを幼稚園サッカーと言います」と言われたんです。これは一番堪えました。たしかに言われても仕方がない。これじゃいけないと思いました。プロとして試合をするときの約束事ができていない。サッカー素人の私にもわかることです。一方、監督に求心力がなく選手はバラバラで、勝手にマスコミに何でも話してしまう。こんな状況を何とかしないといけない。
と、いうようなことを言ったわけです。森君も「私もそう思います」ということでした。
そこでサッカーの基礎と、精神的な規律の両方の面で、レッズの憲法を作れないか、とお願いしました。GMとしてレッズを土台から作り上げて欲しい、と。たしか3回会ったと思いますが、「では、お願いします」ということになったわけです。(続く)

2001年8月の「第2回浦和レッズシーズン2001を語る会」で発言する塚本さん

カテゴリー: インタビュー   パーマリンク

コメントは受け付けていません。