第1回ゲスト:塚本高志さん その2

「3年目に優勝」宣言の反響

清尾 森さんがGMになることが決まって、すぐに監督選びに入ったのですか。

塚本 森君とは別のラインで浮上していた有力な候補がいたのですが、12月に入って急にその話が駄目になったんですよ。そこで急いで森君に話したところ、すぐに3人の候補をリストにして持ってきました。南米の代表監督経験のある2人とオフトで、「この3人なら、いつでも話ができます」ということで、さすがに世界中にネットワークを持っている森君だと思いました。そのときに森君への信頼感がグッと増しましたよ。ほぼ間違いないと言われていた監督候補に断られて、時期的にも切羽詰まっていた状況でしたから「この3人ならいつでも」という言葉は本当に頼もしかったです。

清尾 その3人の中からオフト監督を選んだのは塚本さんですか。

塚本 いいえ。「俺に決めろと言ってもわからないよ。優先順位をつけてくれ」と頼んだら、「じゃ一晩待ってください」と言って、翌日順序をつけてきました。一番がオフトでした。

 その順番になった理由を聞くと、「占いです」と(笑)。姓名判断だそうです。ともあれ、オフトは日本代表監督もしていたし、磐田をあれだけ強くした人で、日本の事情もよくわかっているから、私も良いと思いました。そしたら、すぐにその場からオフトに電話したんです。何やら英語で話したあと「ベリー・インタレスティング、言うてますよ」と言うので「よっしゃ!」となって詰めるように頼んだのですが、翌日になって「条件があると言ってます」と森君が言ってきました。何かと聞くと「ヤンセンをコーチとして連れてきたい」ということでした。広島で監督をやった人ですから願ってもない話ですが、報酬が心配です。用意していた金額で2人が来てくれるなら、と言うと、またその場から電話して「オーケー、オーケーと言ってます」ということでまとまりました。

清尾 それが12月の初旬ですね。そのころレッズは天皇杯で勝ち進んでいました。

塚本 そうなんです。ある日、大原から連絡がありましてね。強化の現場から私に直接電話があることなど、それまで一度もなかったのですが、「社長、大変です。ピッタがまったくやる気がありません!」と言うんです。
 ピッタは自分の契約が終わるというのは知っていたので

すが、次期監督がオフトに決まったというのを人づてに聞いて、やる気をなくしてしまったらしいです。
 現場から「社長、すぐ来てください」と言われて、私はものすごくうれしかったです。一番現場にとって都合の悪いことがダイレクトに自分に飛び込んできたわけですから。思いきって強化の体制を変えた効果がさっそく出たと思いました。

清尾 それでピッタに会ったのですか。

塚本 もちろんです。すぐに大原に行って、練習が終わるのを待ってピッチの上で話をしました。
「すまなかった。次の監督がオフトに決まったことを、あなたに最初に話すべきだった」と謝罪しました。同時に「あなたもプロとして、契約の切れる1月1日まで、天皇杯の優勝を目指してやってほしい」と話すと「わかりました。最後まで一生懸命やります」と、その日からピッタががらりと変わりました。ピッチでの指導に熱がこもってきて、選手たちにもそれが伝わったのでしょうね。今季でクビを切られるピッタがあんなにやっているのだから、「監督を男にしてやりたい」と頑張って、天皇杯は準決勝まで進みました。あのときに、まず監督のモチベーションが高まることがいかに大切か、ということをつくづく感じました。

清尾 ピッタ監督は本当に短い間でしたし、目立たなかったですけど、天皇杯準決勝で敗れた後に、埼スタのサポーターに挨拶に出てきたときの姿が印象的でした。
 それで、オフト監督には直接どういう話をしたのですか。

塚本 土台作りをやってくれ、と。3年目には優勝を狙うという宣言をするが、それまでは優勝は狙えないということを俺がみんなに言うから、基礎からチームをたたき上げてくれ、ということをお願いしました。もちろん森君が同席しての話です。

清尾 実際、そういうことをファン・サポーターに宣言したわけですが、今年と来年は優勝できないだろう、ということをクラブが明言したのは初めてです。あれには相当な勇気がいったのではありませんか。

塚本 周りからは大反対されましたよ。これはみなさんもお聞きになっていたと思いますが、レッズフェスタの挨拶で私が「今季は土台から作り上げる年で、2年間は優勝は狙わない。3年目に優勝争いをする」と言った後で、後援会の会長が「プロは優勝を狙わないといけない」と挨拶するとか(笑)、クラブの内外問わず、至るところで議論になりました。

それでも「俺は3年の猶予を与える」と言い続けました。

清尾 サポーターの反応も最初は複雑でした。少なくとも、あの宣言を聞いて勢いが出たという感じはなかったです。

塚本 しかし「優勝する」と言うだけでは仕方がないじゃないですか。チームを作り直すには時間がかかると思っていましたから。

清尾 たしかに過去10年のことを思えば、逆に説得力はありました。
 あの年の2月にあった「語る会」の後、あるサポーターが「やれやれ、今年は8位ぐらいを目指すために毎試合応援に行くのか」とため息交じりに言うんですよ。それだけを聞けばサポーターを失望させているかのように思いますが、その彼はそれでも「毎試合応援に行く」と言っているんですよ。
 それまで毎年、優勝を目指して結局かなわなかったことを思えば、2年間は無理、しかし3年目には優勝を狙う、という宣言を聞いて、サポーターも覚悟を決めたと思うんですね。
 選手たちの反応はどうだったのですか。

塚本 新体制になって私が選手たちに言ったのは、3年目

には優勝を狙う、ということと「レッズサポーターは、日本一のサポーターだと言われるのではなく、日本一のチームのサポーターになりたい、と願っている。日本一のチームのサポーターになってもらおうじゃないか」ということでした。そして自分がオフト監督を百パーセント信頼している、ということもはっきりと伝えました。選手はみんな納得していたと思いますよ。

清尾 しかし、最初はなかなか結果が出なかったですね。あのときの心境はいかがでしたか。

塚本 たしかに序盤は勝てない試合が多かったですね。しかし、しっかり組織を作っていましたから、必ずシーズンが終わるころには結果が出ると信じるしかなかったです。周りから何と言われようと、とにかくこのシーズンは待ってくれと、どんな場面でも自分が言う決意でいましたから。
 選手を見れば、エメルソンやトゥットという点を取れる選手がいるのだから、守備がしっかりすれば安定するだろうと思っていました。
ユニバーシアードで優勝した大卒五人組もいましたから、徐々に戦力としても上がってくるだろうと。

清尾 2002年は大卒、高卒5人ずつ合わせて10人の新人を獲得しましたが、現在もJでやっている選手が長谷部も入れれば7人います。この年、移籍による補強はなかったですが、チーム作りの年にふさわしい新人を多く獲りましたね。

塚本 徳重はレッズ戦でよく活躍していますね(笑)。当時のチームにあてる予算はJリーグの中でも上から3番目くらいだったと思います。その資金を全部チーム強化につぎ込んでいけば、やれると思っていました。

清尾 しかしワールドカップが終わって、7月13日にリーグ戦が再開したとき、塚本さんはもうレッズの代表を退任されていました。

塚本 はい。もう岡山に帰っていました。これはだいぶ後の話ですが、ナビスコカップで決勝に進んだことについて、オフトが手紙をくれたんです。「今回、レッズがファイナリストになったのは、あなたのジョブ(仕事)の一部だ」と書いてありました。
 私はオフトとはあまり論議しなかったけれど、森君がしょっちゅう話していましたから、その中で「プレジデントの意向は

こうだよ」ということを言ってくれていたんでしょうね。これは、うれしかったです。
 オフトは2003年に辞めるときも、ナビスコカップで優勝したことで、「あなたとの約束は果たせたよ」と言ってくれました。
(続く)

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