「平日、会社に行くように・・・」

   『平日、会社に行くように・・・』
   
 2011年10月中旬、浦和レッズは、J1リーグ第29節大宮アルディージャとの大一番を控えていた。
 レッズは残留争いのまっただ中にいた。リーグでは8月20日のヴァンフォーレ甲府戦からの8戦を2分け6敗と、2か月近く勝ちがない厳しい状況が続き、同じく残留争いに身を投じていた大宮とのゲームを迎えていたのだ。リーグ終盤のダービーマッチは、どちらが残留するか、生と死を分かつような状況で、ふだんとはまた違った重みが加わった、両者にとって、“負けられない”一戦だった。 

 浦和に移り住んで20年を迎えた原口康彦は、この大一番を前にして、どうにも心が晴れなかった。どうしても1999年のJ2に落ちたときのことが思い出されてしまったからだ。あのときはチケットが手に入らず、妻と自宅で試合を見ていた。目の前の現実に、言葉が出ないほど、悔しさをかみしめたが、もうあんなことがあってはいけない、と思っていた。
 2011シーズン、レッズは、監督にゼリコ・ペトロヴィッチを迎えていた。原口は選手時代の彼を大好きだったが、あのゼリコが本当に監督をできるのだろうかと、開幕前から少し不安に感じていたことを覚えている。

      
 どうやら、ここまでのところで、その心配が現実のものになっていることを受け入れざるを得なかった。あんなにレッズを愛してくれているゼリコが、苦境に立たされ、非難にさらされている。結果が出ていない以上、それはしかたのないことだったが、ともに闘った仲間として、見るのは正直つらかった。
 インターネットの掲示板などでは、選手を中傷するような言葉も書かれていた。それを読んでも胸が痛んだ。

 「○○イラネ」

 原口は、以前から掲示板で見かけるこの言葉が大嫌いだった。なぜ、あんなに一生懸命戦っている選手たちにそんな言葉を吐けるのか。確かに、ピークのときのパフォーマンスは出せていないかもしれない。でも、仲間じゃないか。それを、よくそんなふうに・・・。
 そうした言葉を見ていて、残念に思うのと同時に、この人たちはスタジアムに来ている“仲間”とは違う人たちなのではないか、と思った。

        
 原口がレッズに出会ったのは、偶然とも言えるものだった。出身は大分県。銀行に就職して3年目の1985年からは、東京の練馬区にあった社宅に住んでいた。しばらくして自分の家が欲しくなり、購入しようと考える。そして、選んだ念願のマイホームの土地が、浦和だったのだ。
 1991年の12月に浦和に越すと、原口は日本のサッカーがプロ化し、自分が住む街にもプロサッカークラブが誕生することを聞く。サッカーは、これまで学校の体育ぐらいでしかやったことがなかったが、どうやらJリーグは地元チームを応援するものらしい。じゃあ、自分たちは浦和レッズを応援しないわけにはいかないね、と、そのとき妻と話した。 
 
 初めて観戦した試合は、それから3年あまりが経過した1995年、3月29日に国立競技場で行われた名古屋グランパスエイトとの一戦だった。当時は、Jリーグバブルであり、どの試合も人気があって、なかなかチケットを手に入れることができなかったからだ。
 ようやく手にしたチケットで初めて見た試合は、延長まで含めて点が入らず、結局PK戦に突入した。両チーム合わせて28人が蹴る長期戦となったが、最後はブッフバルトが失敗してレッズは敗れた。
       
 レッズには勝って欲しいと思っていたが、得点が入らない試合は、あまり楽しくなかった。サッカーって結構つらいな、それが、初観戦の正直な感想だった。
 だが、そこからスタジアムに足を運ぶたびにサッカーへの、レッズへの思いは増していき、いつしか赤いチームのない生活は考えられないほどに変わっていく。レッズが埼玉スタジアムに居を移してからはシーズンチケットを購入して、常にスタジアム北側のゴール裏に立つまでになった。                           

 きっかけは、“あのコール”だった。       

 いつだったかは、覚えていない。
 だが、駒場スタジアムで『We are REDS!』と叫んだとき、選手たちと確かにつながっている気がした。その感情には、これまでの人生の中で感じたことのない強烈なものがあった。だから、今でも、あのコールが、“浦和の力”だと信じている。

 そんな原口が、自身のサポートの方法として続けているのが、ホームゲームのときに売られるMDP(浦和レッズオフィシャルマッチデープログラム)に、投稿することだった。

      
 運命の大宮戦の前も、それまでと同じように何を書こうか思案していた。インターネットのチームへの書き込みを見ると、ネガティブなものばかりが目についた。

 だから、みんながこんな気持ちでスタジアムに行けばいいのにな、と、そう思いながら自身の気持ちを言葉にしていった。
 パソコンのキーボードをたたくたびに、思いが文字に変換されていく。初めは書きたいことを連ねすぎ、予想外に長くなってしまったが、本当に伝えたいことだけを残すと、最初の長さから3分の1程度になった。
 シンプルだが、熱いメッセージとなった。

 残留争いくらいじゃ、へこたれない。滅多なことでは試合を投げ出さない。敗戦は許せるけれど、不甲斐ない試合は許せない。スタジアム全体が選手とともに闘って勝利した試合が、一番好きだ。
 今日の大宮戦に勝つためには、自分がスタジアムに駆けつけなきゃと思い込んでいる。
 チームを愛し、選手を信じている。
浦和のサポーターは、今日、愛する浦和レッズのために選手とともに闘う。そして、何があっても必ず勝つ。
(原口康彦・52・さいたま市)
 

      
 この投稿が勝利につながって欲しい、そう思っていた。
 だが、試合は敗れた。前半、ペースを奪ったレッズだったが、そのチャンスを生かせず、得点できずにいると、後半、それまで何もさせていなかった大宮のストライカー、ラファエルに一発を沈められ、そのまま反撃できずに終了してしまった。サッカーの世界では、負けるチームによくある、典型のような試合だった。
 この日、原口は勝利のために験を担いでいた。都内にある、自分が勤める会社の近くには行き付けの飲み屋がある。そこの店長が大宮サポーターで、ダービーのときには、その彼を車に乗せて一緒にスタジアムに行くのが常だった。だが、ここ数年、乗せるたびに負けている。この一戦は、どうしても負けられない。だから、今年は、乗せないから電車で行ってくれ、そう言って彼を乗せてこなかったのだ。だが、あの負け方に思わず、乗っけていても結果は一緒だったろうな、と苦笑してしまった。
 
 だが、そうした経験一つを取っても、人生を豊かにしてもらっている、そんな気持ちがある。大宮サポーターの彼だけではない。青森県の八戸市に、年に一度はスタジアムで会うレッズサポーターがいる。他チームのサポーターにも友人が多くいる。柏レイソルの優勝が決まった最終節の後など、優勝を喜ぶ柏サポーターの友人と一緒に飲んだくらいだ。 
     
 くっそう、来年はこっちが勝つんだから--。そう言いながら、原口はその友人に酒をついでいた。もちろん、それは、サッカーが好きならみんな仲間、という原口自身の考えにもよるところはあるが、サッカーを、レッズを知らなければ、八戸に友人ができることはなかっただろうし、他チームのサポーターと酒を酌み交わし、サッカー談義に花を咲かせる、そんな日々もなかったはずだ。

 2011シーズン、レッズはなんとか残留し、20シーズン目をJ1で戦えることになった。

 原口は思う。埼スタには、それこそ、赤ん坊からお年を召した、おじいさん、おばあさんまでが訪れている。それこそが浦和のサッカー文化なのだと。今季は、そうした人たち、みんなが笑顔で帰れる試合が見られるといい。もちろん、そのために自分もスタジアムに通いたい。
 正直、クラブの姿勢などには思うところもある。だが、自分の生活の中には、レッズがすでに組み込まれている。勝つからスタジアムに足を運ぶんじゃない。試合がある日はスタジアムに行く。それが、日常の一部なのだ。

       
 最近、20も年下の若者から取材を受ける機会があり、こんなことを聞かれた。
 「もし、サッカーに、レッズに出会っていなかったら、どんな人生になっていたと思いますか」
 思いもよらない質問だったが、こう答えた。

 あんまり考えたことがないです。平日、ネクタイを締めて会社に行くのと同じように、土日にレプリカを着て、スタジアムに行っていますから。

 口にして、それが自分の偽らざる本心なのだと思った。
           
                                <了>

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