「“サラリーマン”」

「“サラリーマン”」

 MDPを発行するのには、発行元のレッズはもちろん、取材・編集を担当する弊社と、デザイン担当の株式会社ミネルバ、そして、印刷を担当する株式会社リョーインの3社が携わっている。
 43歳の藤田茂は、そのリョーインで、営業担当をしている。レッズの担当になったのは、1997年。ただし、担当ではないにしろ、入社してすぐにMDPに関わる業務のサポート役として携わり、その後もなんらかの形で関わっていたので、入社して今年で21年目になる彼は、まさに、印刷の側からMDPを見てきた生き証人でもある。

 恥ずかしい話だが、印刷直前に、彼に指摘してもらって誤字に気づき、編集側の我々が救われたことも何度か、という程度ではないくらいある。営業という枠に収まらないその仕事ぶりは、MDPを製作する上で、なくてはならない存在だ。
 背は高く、細身。細めの眼鏡の下の眼光は鋭い。が、きめ細やかな心配りができ、人当たりは柔らかく、話し方も穏やかだ。その人柄が社内でも信頼され、顧客とのトラブルなどがあった場合も、積極的に現場に駆り出されるらしい。それは、ふだんの彼を見ていても、わかる気がした。

 あるとき、喫茶店でコーヒーを飲みながら、ふと思い立って尋ねた。
 「小さいころから、温和な性格だったんですか」
 そう話を向けると、意外な言葉が返ってきた。
 「いや、そうではないですね。もともと気は強い方だと思います」
 そして、実は私が変わったのは・・・と、あるエピソードを話してくれた。

――― まだ埼スタにレッズの事務所がなく、浦和の仲町に、運営部などもあったころの話です。ナビスコカップの決勝に初めて出たときか、2回目に出たときだったので、今から10年くらい前でしょうか。MDPのナビスコカップ決勝特別号が発行されたんですが、通販購入をされている方にはこちらから郵送することになっていたんですね。場所によっては、決勝前日に、MDPの特別号が届くというスケジュールでした。
 発送は、うちが郵便局から出すという手配になっていたんですが、郵便局に持って行く役割を担っていた人間が、半日くらい持って行くのを遅らせてしまったんです。理由は、子どもが熱を出したということだったと思います。ただ、その連絡がこちらには来ていなかったので、私は予定通りに行っていると思っていました。

 すると、少しして、通販購入をされている方からMDPが届かない、という連絡が入りました。そんなわけはない、と思ったんですが、前後関係を洗っていくと、どうも最後の最後で止まっていた、と。22時に郵便局に届けるはずだったのが、翌朝に届けてしまっていた、ということだったんです。その苦情が来たんですね。
 そうした電話は、数件あったんですが、その電話に対応して終えるのに、4時間くらいかかりました。正直、自分の中には、そのくらいのことで何で? という気持ちがあったんですね。なんで、そこまで怒られないといけないのか、と。電話で応対したときに、そうした気持ちは端々に伝わってしまったのだと思います。だから1件の電話が終わるのに、すごく時間が掛かりました。
 で、これはいかん、と思って、レッズの事務所にも行きました。すると、苦情の電話がまたうちに掛かってきたと、会社の者から私のところに連絡があったんです。まだレッズの事務所にいたんですが、当時、ミスターという愛称で呼ばれていた非常に情熱とアイデアを持った、また仕事に対して厳しさを持ったクラブスタッフの方がいたんですが、その方が、「おい、ここの電話を使っていいぞ」と(苦笑)。だから、聞いた連絡先に電話し、話をしたんですが、結局、また2時間掛かってしまいました。

 私が、郵便局に予定通りMDPが届いていなかった事実を知らないときに対応した、ある購入者の方とのやりとりでは、こんなことがありました。その方は、非常に郵便事情に詳しい方だったようで、どうも調べたらしいのです。うちは荒川区の町屋に印刷事業部があるので、荒川町屋郵便局から郵送する手はずだったんですが、そこに、予定どおりの時間にはMDPが届けられていない、と。こちらは、まだその事実を確認していなかったので、いや、そんなはずはない、と言っていたんです。
 そうしたら届いていなかった。それを知ったときは、本当に申し訳ないと思いました。
 その方は、川越に住まれていたんですね。で、川越駅から始発で、国立競技場まで向かうと言っていました。だから、始発の時間、朝の5時前くらいでしたかね。それに合わせて川越駅まで向かい、駅でMDPを渡しました。すいませんでした、と謝って。そうしたら、その方も、「いや、こちらこそ、わざわざ持って来てもらってありがとう」と、言ってくれて、きょうは頑張ってください、と言って、握手して別れました。その方は男性で、年は、当時の私と同じくらいでした。
 そのときに、その方たち、つまり購読者の方たちが持っている思いを初めてわかった、と言えるんですかね。ちょっと、営業としては遅かったのかもしれないですけど。

 そこからです。人に対する対応が変わったのは。自分の思いだけを押しつけてはいけない、と。自分がこれだけ一生懸命やっているのに、なんで、あなたは怒っているんだと、それを言っては駄目なんですよね。自分のことはとりあえず置いて、その人が何を求めていて、何をして欲しいのか、その中で自分が何をできるのか、ということを考えて、誠心誠意対応する、それがどういうことかというのを初めて理解したんだと思います・・・。      
                            

 そうした経験を一つ一つ積み重ねていき、今の藤田の営業マンとしてのスタイルができあがったのかもしれない。
 その中で、彼が営業として最も大切なものとしてたどり着いたのは、“信頼”という言葉だと言う。
 営業に信頼は欠かせない。
 そう言ってしまえば、それは当たり前のようだが、経験を積み重ねてきた人間の口から発せられたその言葉には、確かな重みがある。

 「やっぱりそれが一番ですか」
  私が尋ねると、
 「そうですね」
 と、柔和な笑顔で返ってきた。

 「ただ、それって築きあげるのが、難しいですよね」
 「難しいですね。今まで経験して自然と身につけていったというのと、一件一件に対して自分のできるかぎりのことを取り組んでいくこと、だと思います。そうすると、端で見ていてもわかるんですよね。
 お客さんが一生懸命やっているのに、こっちが手を抜くわけにはいかないじゃないですか。それを、人は人、と思っている者には、たぶん仕事は来ないと思うんですよ。だから、営業になって、レッズで仕事をさせてもらったときに、たとえば先ほどのミスターというクラブスタッフの方から、自分の思い、情熱、こういうものがやりたいということを伝えられて、それにこちらがどう答えるか。なぜか、最初から信用してくれたので、それを裏切ってはいけないと。それで取り組んだことが、ほかのお客さんにも生きていたのかな、とは思います」
 「他の仕事も抱えられていると思いますけど、営業ってやっぱり大変ですか」
 「でも、いろいろな人にありがとう、と言われたりすると、うれしいですし、やっぱり自分が手がけているもの、印刷物って、一点一様じゃないですか。自分が携わった仕事が形になるというのは、モチベーションにはなっていますよね」

 「レッズ関連では、ずっと関わってきたMDPにも愛着がありますか」
 「それはあります。もうライフワークのような感じです。
 ただ、会社ですから、自分一人で仕事をしてきたわけではないですし、うちの会社にもMDPの製作に関わっている人間がほかにもいて、そういう人たちがいてこそ成り立っていますから、すべての人たちに感謝ですね。
 それと、また、この先、異動などあるかもわからないので。そうなったときに、どうフォローして対応していくか。もっと若い人間にうまく伝えてやっていくことも必要なことだと思っています」

 MDPは読者である、ファン・サポーターの方たちに支えられている。が、それだけではない。世間一般では、“サラリーマン”と言われる、こうしたプロフェッショナルにも支えられ、発行され続けている。
                              <了>          

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