「恋人」

「恋人」

 彼に話を聞いたとき、レッズへの深い愛情と思いが、その言葉から感じられる人だと思った。
 しかし、2011年、そんな彼の気持ちは大きく揺らいでいた。最後のところで、クラブはわかってくれているんだろう、彼はそう思っていた。だが、11シーズンのチームの惨状を見たとき、彼は自分の思いは間違っているのではないか、そう考えざるを得ない心境になっていた。J開幕からサポートを続けてきたクラブに、そうした疑念を持つことは、彼にとって何よりもつらいことだった。投げ出したい気持ちに駆られたのも1度や2度ではなかった。
 だが、そうしたとき、浮かび上がる光景があった。それが、今にも消えてなくなってしまいそうな思いに、かろうじて熱を加え、光をともし続けていた。

 「99年なんです」
 そう彼は言った。
 「レッズにとって大変な年だったんですけど、セカンドステージの終盤に、いてもたってもいられなくて、浦和に行こう! そう思ったんです。11月17日(水)のジェフ戦でした。チケットもなくて、ツテもなかったんですけど、突発的に難波からの夜行バスを予約して、飛び乗って行ったんです」

 彼は、当時大阪に住んでいた。92年、初めてアジアカップで優勝した日本代表のメンバー、福田正博に惹かれ、レッズを応援するようになったのだが、それまでの応援スタイルは、関西圏でのレッズ戦がある場合に、スタジアムに足を運ぶというものだった。
 だが、レッズが降格してしまうかもしれない、そうした状況になったとき、どうしてもチームの近くでサポートしたい衝動に駆られたのだ。
 レッズは、1stステージの成績が3勝4分け8敗で、16チーム中13位。そして、迎えた2ndステージもふるわず、ジェフ戦の前の第11節を終えて、2勝9敗の14位だった。残りは4試合。浦和レッズの名前は、総合順位で降格圏を示す15位の位置にあった。

 「だいたい8時間くらいかけて、早朝5時ごろに東京駅に着き、そこから電車で浦和駅に向かいました。緊張シーなので、バスでは全然寝られませんでしたね(苦笑)」
 最低限の情報として、スタジアム周辺にはチケットを余らせている人がいる可能性があること、レッドボルテージでキャンセルが出る可能性があることを知っていた。だから彼はまず駒場スタジアムへと向かった。だが、さすがに早朝過ぎて、テントを張って開場を待っている人たちも就寝中だった。

 しかたなしに、彼は旧中山道沿いにあった、ファストフード店で時間を潰し、開店に合わせてレッドボルテージへ向かう。やはり都合よくキャンセルが出ることはなかった。しかし、しばらくすると、駒場にチケットを余らせている人がいるという情報が彼のもとに入る。彼は、高鳴る胸を押さえつけるように、駒場へと走った。
 「必死でした。できれば、スタジアムで見たいですから。でも最悪、スタジアムの外から声援を送れればそれでいいやって思っていたんですけど」
 聞いたとおり、駒場のサブグラウンドにチケットを余らせている人がいて、彼は無事、購入することができた。
 東側のバックスタンド。そこで参戦した。
 「無我夢中」で応援する中、試合内容は、お世辞にも良いとは言えないものだったが、0-0で迎えた後半41分、福田正博がゴールを挙げ、レッズはセカンドステージ、ようやく3勝目を挙げる。駒場スタジアムは、興奮と安堵に包まれていた。
 
 そのとき、不思議と涙が止まらなかった。
 これまでには考えられないほどの感情が、身体の内からわき上がるのを彼は感じていた。
 「今までの人生ではなかったんです。ふつうに生きてきて、腹立つこと、面白いこと、喜ぶことってあったんですけど、泣くほどうれしかったことはなかったんです。
 だから、駒場からの帰り道、これは一生掛けてでも追いかけたい、一生掛けてでも楽しめるものを見つけたんだ、そういう感覚になったんですよね」
 そして、彼は、帰りの新幹線の中でも、こう考えていた。
 「人生最良の日だったなって思いました。本当に最良の日だったんですよ、それまでの人生で。たいしたことのない人生だなって思いますけど(笑)」
 「それでね、その10日後にね、やっぱり駒場に行って、降格を見るんです。ジェフ戦のときにチケットを譲ってくださった方から、あるけど来るか? って聞かれて、行きます! と即答で(笑)」
 もう迷いはなかった。だから、降格の瞬間もしっかり見たし、それからは以前のような日常にももう戻れなかった。
 「翌年は、散財の年になりました(笑)。J2では大分とかにも行きましたから」
 そして、05年には、「レッズが99パーセントの理由」ということで、埼玉県にも引っ越してきている。
 いまだに、彼はあの大阪から駆けつけた日のことを鮮明に覚えている。ベストバウトを挙げろ、と言われたら、リーグ優勝が懸かった06年のガンバ大阪との最終節でも、ACLの決勝でもなく、試合内容としては乏しい、あのジェフ戦が真っ先に挙がってくるのだ。
 2011年、彼をレッズに踏みとどまらせたのは、あの日抱いた、宝石のように光り輝く感情だった。

 彼は、レッズに関するフラッシュムービーを作成し、インターネット上に公開している。年に数本程度だが、1作品につき、万を越えるビュー数があるほど、反応も大きい。
 「技術的なところは、プロの方などに比べたら僕には到底かなわないので、メッセージを重視しています。レッズを好きな人ならわかってくれる、テンションを上げてくれる、そういうものを作ろうと腐心しています」
 それには理由がある。
 「掲示板とかで、作ったURLを貼ったあとに、テンションが上がった、という反応があるとうれしくて。そのテンションをそのままスタジアムに持って行ってもらいたいんです。たとえばスタジアムで静かに見ている人がいたとして、隣でうわーっとやっている人がいたら、その熱にひきずられるんですよね。手拍子とかも含めて。それが回り回って選手たちの力になるなら、それはもう幸せなことだなって」
 彼は以前、こんなことを友人に言われたそうだ。
「お前のフラッシュは、サポーターの“サポーター”なんだ、と。なるほど、と思いました。ただ、僕の意識はもっとみっともなくて、作って叱咤激励しないと、僕自身もやっていけない、というのがあるんですけどね(苦笑)」
 
 2012シーズンのホーム開幕戦。彼は、埼玉スタジアムのスタンドにいた。
 昨季王者を相手に、特に前半、チームは素晴らしいサッカーを見せた。
 これが一つ前のシーズンで、残留争いをし、なんとかその目的を達したチームとは思えなかった。
 その光景を見ていたとき、不意に目頭が熱くなってしまう自分がいた。だが、その余韻に浸る間もなく彼は笑ってしまう。勝利を決めた後、選手たちが、肩を組んで凱歌を一緒に歌い始めたからだ。今までにはない、そのショーのような光景に、思わず何をやっているんだ(笑)、と突っ込んでしまったが、実際は、そのほほえましい光景に、彼はなんとも幸せな気分を味わっていた。その発起人は槙野智章だということもわかっていた。池田伸康、岡野雅行。かつていた、レッズの個性的な選手と同等に槙野は、重要な選手になっているんだなと感じた。
 そして、昨季、「We are REDS」とスタジアムでコールされたとき、正直、乗り切れない自分がいたが、あの試合でコールされた「We are REDS」には、心底共感ができた。だから、自分は、あの試合で、レッズに帰って来られたのだとも思う。
 
 彼は言う。
 「一生つきあっていく中では、レッズへのそうした悪い時期も受け入れていかないといけないんだと、そこにいきつきました。何十年もいるとしたら、そういうことだってあるだろうって。
 以前、ある方にお前にとってレッズは恋人みたいなもんなんだよって言われたんです。だから、去年は倦怠期だったんでしょうね。そういう言い方、柄ではないので、なんか気持ち悪いですけど(苦笑)」
 そして、こう続ける。
 「あのジェフ戦がなければ、いまだに大阪にいて、たまに見に行く程度だったかもしれません。あれがあったからこそ、こっちに越してきて、いろいろな人にも知り合えるようにもなって、僕にとっては人生が良い方向に、楽しい方向に行ってくれました」
 「長く見ているとね、ナビスコ杯の初めての決勝で敗れたりとか、結構ショッキングな試合もあるんです。でも一緒に見ている仲間がね、試合後の飲み会で、馬鹿騒ぎをして笑わしてくれるんです。笑っているうちに、気持ちが切り替わっている。本当に良い仲間を持たせてもらえました」
 愛があるからこそ、真剣だからこそ昨季は疑念を抱き、怒りも感じた。だが、総じて抱いているのは、クラブへの感謝の気持ちだ。
 「レッズには感謝しっぱなしなんです。少なくとも、泣けるほどうれしいことってないですから、人生で。それを年に何度かでも味わえているというのは本当にありがたいことです」
 今シーズン初めに作った1本のムービーがある。その最後には、レッズに関わるすべての“仲間”へ向けたメッセージが刻まれている。

 彼らと一緒に泣こう。
 俯く時も一緒なら、顔を上げて立ち上がる時も一緒だ
 そうさ、俺たちは浦和レッズなんだ。

 「いつか強くなって、タイトルを獲って、気持ちがわかる者同士、みんなで泣きたいですね」
 彼はそう言って笑顔を見せた。
                           <了>

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