「9年目」

「9年目」

 浦和レッズが地域貢献として行っているサッカーの普及活動。それを担っているのが、浦和レッズハートフルクラブだ。
 ただし、ハートフルクラブは、単なるサッカーの普及グループではない。
 落合弘という希有の人材の哲学を反映し、「こころ」にフォーカスした取り組みを続けている。それは、今のような時代だからこそ大切で、それを浦和レッズというプロサッカークラブが行い、10年もの間続けてきたことが、非常に大切な意味のあることだと考える。
             
               

 浦和駒場スタジアム・レッズハートフルフィールド駒場。レッズがネーミングライツを取得し、以前は駒場スタジアムのサブグラウンド、と呼ばれていた場所は現在、「ハートフル」という名を冠した場所になっている。
 そこでは、ハートフルクラブの主要活動の一つ、ハートフルスクールが行われている。

 「味方に声を掛けて助けてあげよう!」
 コーチの神野真郎が、小学3年生の子どもたちに伝える。

 グラウンドでは、子どもたちを2チームに分けた、変則的な鬼ごっこのようなゲームが行われていた。このメニューは、仲間を助ける動きをすれば、チームとして得点が加算されやすいルール設定がなされていて、子どもたちはゲーム自体を楽しみながらも、取り組んでいくうちに、そうした仲間を助ける、協力するというメッセージを受け取れるように配慮されていた。
 神野はその狙いをこう話す。
 「ちょっとメニューありきで、“こころ”の部分を強調しているところがあったんだけど、サッカーって走ってもボールが出てこないことの方がたくさんある。だから、仲間のためにという、それが自分の考えるサッカー像でもあるから、それが伝わるように、ああいうメニューをやりました。サッカーは、やっぱり自己犠牲の部分が多くを占めていると思うし、最終的に点を取るのは一人だけど、それまでに仲間の思いがプレーでつながって、得点が生まれるわけで。高学年の子どもたちが対象だったら、もう少しサッカーっぽくするんですけどね」

 神野は、今年でハートフルクラブのコーチを務めて9年目を迎える。キャプテンの落合を除けば、コーチの中で最古参であり、ハートフルクラブの歴史のほとんどを体感してきた人物でもある。

 彼は、半年や1年というスクール活動の初めに、担当する子どもたちと3つの約束をするそうだ。
 「一つは一生懸命やる、もう一つはコーチの話を聞く。それと最後に、仲間を大切にする、という3つ。スクールは学校のクラスとかとは違って、最初は知らない子同士だから、なるべく早く友達になって、その友達を大切にしようということは、どこのスクールでも話しています」
 もちろん最初に約束をしても、うまく伝わらないことの方が多い。スクールでは、実力もばらばらだし、どうしても熱中するがゆえに、うまい子が、サッカーに親しめていない子に文句を言ってしまうこともあるからだ。そういうときは、一度子どもたちを集めて、しっかりと神野自身が思っていることを伝えるようにしている。
 「子供たちがプレーをしていて、何やってんだよ! とかそういう声を出してしまうことがあるんだけど、そのときには、みんなをもう一度集めて、こういうことがあったけど、これは少し違うよね、と伝えます。そういう言われ方をしたら、その子は、サッカーを一緒にやるのが嫌になるんじゃない? と。そこは見過ごせないところだし、1回1回を見ると、そこまでは強調していないかもしれないけど、スクールの16回や32回を通して見ると、思いやりとか、そう言う部分を伝える形になっていると思います」
 さらに、これはハートフルクラブのコーチたちに共通することだが、そのときどきに掛ける声にも配慮している。その子の良いところを伸ばしたり、良い行動を促したりすることが多いのだ。もちろんルールや協調性に欠ける子どもがいれば、しっかりとした口調で諭すこともあるし、年齢によっては厳しく指導することもある。
 だが、その中でも神野はポジティブな声かけを意識していると言う。
 それは彼が、コーチングというものに関して、非常に謙虚で慎重な姿勢を持っているからだろう。
 「同じ言葉を掛けても、良い思いだけではない、違う思いを抱く子も中にはいると思うから。僕のところにも外部の人からの声は入ってくるけど、そういう声というのは、当然良いことしか入ってこない。だからこそ掛ける言葉の重みは感じながらやらないといけないし、それは何年続けても意識しています」
 そして、そう話す神野だからこそ、2、3年前に、非常にうれしさを感じられた出来事があった。
 スクールを終えると、見覚えのある顔の男性がいた。神野がコーチを始めて、1年目か2年目のときにハートフルスクールに通っていた、当時小学3年生の男子の父親だった。その子の名前も顔もすぐに思い出すことができた。
 あのころから、すでに5年ほどが経っていた。そのときの子はもう中学生になっているだろう。
 どうしたのか、と思っていると、その父親が声を掛けてきてくれた。
 内容は次のようなものだったと、神野は振り返る。
 「当時小学3年生のときに来ていたその子は、少年団でもサッカーをやっていたんだけど、サッカーがあまり好きではなくなっていて、そっちの方には行かなくなっていたんだそうです。で、ハートフルのスクールだけは来ていた。でね、そのときに僕が、本当になにげなく掛けた一言、二言で、その子が頑張るようになって、今、中学生になっているけど、サッカーを続けていますって。そのお父さんは、それがすごくうれしかったと、わざわざ言いに来てくれたんです」
 その子は、決して技術が高いとか、うまいという子ではなかった。
 だが、光るモノがあった。
 守備を一生懸命に行う姿を見せていたのだ。ボールを奪おう、追いかけようという気持ち、チームのために何かしようという意志を感じさせるプレーを見せていた。 
 ゲームの中ではGKを務めることもあった。だからそのとき、神野は、「ナイスキーパー」、「守護神」などの言葉で、チームへの気持ちを見せる彼に、報いる言葉を投げかけたのだ。
 本当に、どこにでもある、特別な言葉ではないものだった。だが、その一言、二言が、そのときサッカーに対して向き合えなくなっていた少年の心に響いていたのだ。
 神野に感謝の言葉を述べるその父親の目からは、熱いものがこぼれていたそうだ。
 「たぶん、お父さんもサッカーをやっていたから、自分の息子にもサッカーを続けて欲しいって思いがあったんじゃないかな。それは、本当にすごくうれしい出来事だった」
 神野もまた、目に光るものを浮かべながら、そう話した。

 これまでに、ハートフルクラブからは、池田伸康、渡辺隆正、岩瀬健、安藤智安など、ハートフルクラブのコーチから、育成のカテゴリーへと指導の場を移している人材が数多くいる。
 神野のように、9年という月日を普及というカテゴリーで過ごすことは珍しいかもしれない。
 だが、だからこそ、彼にはハートフルクラブへの強い思い入れがある。
 「それはなければ続けられる仕事ではないです。本当に特別な仕事だし、指導者のスタートがここで本当に良かったと思っています。今後、どこに行くか、どうなるかはわからないけど、絶対自分のプラスになっていると思うし、今まで続けられたこともうれしいんです」

 ときには、普及というカテゴリーで、よく続けていられるね、と言われることもある。だが、神野はこう話す。
 「実際、サッカーの指導者をしていたら、もう少し競技性の強いカテゴリーに行きたいという人も多いと思います。でも、その中でも自分を評価してくれて、続けさせてもらえているのはすごくうれしいし、責任があることだから。すごくプライドを持って、9年目に突入しているし、言葉にするまでもなく、楽しいですよ」
 
 10年目を迎えたハートフルクラブ。
 その歴史のほとんどを知る彼は、今、ハートフルクラブに対し、どのような思いを持っているのだろうか。
 「落合さんのベースというのがもちろんある中で、ハートフルクラブの重要な部分を請け負っているのは、コーチだと思っています。コーチの人間性。ハートフルクラブという形はあるんだけど、スクールの内容はそれぞれまねごとではできないし、人のことを思いやる気持ちがないとできないから」
 そして、続ける。
 「たとえば誰かにボールをぶつけてしまって、それはスクール中、偶然あることだからしょうがないんだけど、ぶつけたら謝りますよね。でも、中にはそこで笑っている子もいるんです。その笑っている子の思いって全然わからなくて、なんで笑っているの? って感じなんだけど、たぶん、 それは自分がされたことがないから、痛みとかがわからないということだと思うんです。
 その中で伝えたいことは、無理にやさしくなれということではないんです。ただ、相手の思いを知って欲しい。その思いやりの意識を伝えていって、広げられればと考えています」
 そして、最後に神野は温かな笑顔を見せ、こうつぶやいた。
 「そうなれば、落合さん、本当にうれしいと思うんですよね。やっぱりハートフルは、落合さんの考えがスタートになっているから」
 自然と発せられたその何気ない言葉に、神野という人物がよく表れていると思う。
 それは日々、子どもたちに思いやる気持ちを伝えている人間だからこそ、発せられる言葉なのだと感じた。
                             <了>

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