「あるさまざまな思い」

「あるさまざまな思い」

 スタジアムにいて、彼は、今のは拍手でいいんだろうか、と思うことがある。
 赤いユニフォームを身にまとった選手が、自分たちの仲間であり、サポートすべき対象であるという思いは、自分自身の中心をなすものでもある。だから、変なヤジやネガティブな声かけよりは断然いいし、自分もポジティブな姿勢で後押しをしたいと考えている。
 だが、フリーでシュートを放ち、いとも簡単に枠を外してしまった(ように見える)選手にも拍手を送るのは、どうも違うような、ちょっとした居心地の悪さのようなものを感じてしまうのだ。

 45歳になる彼は、Jリーグ元年から浦和レッズを応援し、サポーターを続けてきた。駒場スタジアムが改修されたあと、増加したシーズンチケットを運良く手に入れることができ、それからは毎回、席の心配をせずにホームゲームを見続け、アウェイにも行けるときには行く、というスタイルを継続してきている。
 その中で、どちらかと言えば、かつてあったような、選手との対等の関係、緊張感のある雰囲気も、スタジアムには必要なのではないか、と感じることがあるのだ。今は、選手のすべてを受け入れすぎているのではないか、と。

 彼が、最近、期待している選手は宇賀神友弥だ。積極的に縦に仕掛けるプレー、ポジティブな性格、ユースからトップチームには上がれず、大学を経由して戻ってきた経歴。苦労人でもある宇賀神には、やはりレッズで活躍し、チームを支える存在になって欲しい。8月の鹿島アントラーズ戦の1得点1アシストなど、結果も残し始めていることに、彼は素直にうれしさを感じた。
 だが、サイドを深くえぐった後のクロスの質、という点ではどうだろう。あまりにもチャンスをフイにしているシーンが多い気がする。そうした場面では、少なくとも平川忠亮の方が惜しいシーン、得点のにおいを感じさせるシーンを作っているように思えるのだ。その現状の中で、たとえば宇賀神のゴール前に送ったクロスが得点のにおいすら感じられないようなときでも、今、スタジアムでは拍手されることがある。そこまでのシーンへの評価、そして、その次へ切り替えるという意味で拍手を送っているのかもしれないが、だが、彼としては、その拍手が宇賀神への評価までもぼやかしてしまい、成長しつつあるウインガーを満足させてしまうのではないか、と危惧しているのだ。
 宇賀神にも、平川と同等、あるいはそれ以上のプレーの質を高めるところまで行って欲しい。そう考えると、そのクロスに対して、それでは満足できない、もっと頑張ってくれ! という意志表示として、拍手をしない、という選択肢もあるのではないか、そんなことを考えてしまうのだ。

 そのときどきのスタジアムでの応援の仕方というのは、もちろん“核”でやっている人たちがいて、その影響というのは大きいだろうし、スタジアムが醸し出す雰囲気というのは、その他の来ているファン、サポーターも含めて作り出されるものだろう。
 たとえば、中心でサポートをやっていくというのは、すごく大変なことだろうし、彼自身、自分には到底無理だと思っている。だから、そこには敬意と尊重の思いがあり、自分とは違う考えだったとしても、彼らが間違っているとか、スタジアムの雰囲気はおかしい、とまでは思わない。もちろん、昨季あった監督を出せという要求や今季のアウェイの大宮アルディージャ戦後にあったという選手バスへの囲みなどは断じてやってはいけないし、そこには明確な否定の気持ちがあるが。
 そして、先に挙げた、選手たちをやさしいまなざしで見続けている人たちに対しても同じで、彼は中心でサポートを行っている人たちに向けるのと同等の敬意と尊重を、その人たちにも抱いている。

 よく、昔から応援していると、サポーター歴の少ない人たちの振る舞いを見て、昔を知らないで、と言う人もいる。
 もちろん、彼自身にも昔から応援してきた自負のようなものはある。

 Jリーグ草創期。レッズは勝てないチームだった。それでも駒場スタジアムで試合が開催されると、チケットを取るため、朝から昼を過ぎても電話をかけ続けたり、早朝から店頭販売に並んだりしなければならなかった。そして、やっとのことでチケットを手に入れてスタジアムに行っては、勝てない試合を見続けた。その苦しい中で、チームとともに歩んできたという思いが、彼にも確かにあるのだ。だが、その体験を振りかざして、今、一緒に応援している仲間を見下したり、その思いを踏みにじったりするようなことは、彼は違うと感じている。
 昔からの人たち。新しい人たち。おそらくそういうくくりをしてしまったら、思いは平行線をたどるままだろう。昔のいいところ、今のいいところ、それが合わさって、足して割るようなことができたら、最も良いのだろうな、と彼は思う。もちろん、それが一番難しいことだと、十分、理解してもいるのだが。

 そんな彼が、ここ最近、もう一つ考えてしまうことがあった。背番号9についてだ。昨季、その9番をつけていたエジミウソンがシーズン途中で移籍したときには、さまざまな理由があったのだろうが、正直、クラブに対して腹が立った。彼にとって、9番はかけがえのない、特別な番号だったからだ。

 もちろん、背番号は単なる数字という考え方もあるだろう。誰がどの番号をつけようが、そんなことは大きな問題ではない、と。
 どちらが正しいか、で言えば、おそらくどちらも正しく、どちらも100パーセントの正解にはならないのだろう。だが、それこそ古くからレッズを応援してきた彼にとっては、あの福田正博がつけた背番号9は、さまざまな思いが積みかさねられた、今でも大切な、特別なものだった。
 福田は、当時、レッズが弱かった時期にも、日本代表に選ばれていた存在で、95年にオジェックが監督として来てからは得点王も取るなど、チームを、クラブを支えてくれた存在だった。
 ケガも多く、福田自身はレッズでタイトルを獲ることもかなわず、そのプロ生活は決して順風だったとは言えないだろう。だが、プロとしてストイックにその道を追求し、その結果、見せてくれたゴールの多くは、今でも彼の記憶の中に刻み込まれている。そうしたものが積み重なった背番号は、やはり単なる数字以上の重みがあった。
 言うまでもなく、エジミウソンが9番をつけたことは問題なかった。エジミウソンが、しっかりとレッズの9番というものがどういうものなのかを知った上で、自身のそれまで思い入れのあった番号を変えてまでつけてくれたと聞いていたし、ピッチを見れば、結果を残せず、がっかりさせられることも多かったが、それでも懸命にチームのために尽くしていることは十分に伝わっていたからだ。
 だからこそ、その9番の重みを知り、背負ってくれた選手をシーズン途中で移籍させたことは、9番そのものやエジミウソンの思い、そして彼にとっての特別な思いも軽く扱われたような気がして、もう少し、それらの部分に配慮してくれても良かったのではないか、と感じたのだ。
 背番号9。この番号を、背負っている選手は今いない。いずれ誰かがつけるにしても、その重みや歴史、そうしたものを理解している選手につけて欲しいと、彼は願っている。
 
 
 レッズとつきあって20年が過ぎようとしている。その間、多くのことがあり、その都度、彼はいろいろな思いを抱いてきた。それはこれまで述べてきたような、賛否を含むさまざまなものだったが、その中で、彼はやはりもうレッズとは離れられないと考えている。もう、この生活を変えるのは無理だろう、と。
 そして、そうなったのは、おそらくサッカーだったからではないだろう。レッズだったから、今、ここまで来てしまったのだ。
 彼が今季ここまでで最も印象に残している試合。それは3月31日の川崎フロンターレ戦だった。結果は勝ちではなかったが、2人退場した中で、10分あまりをしのぎきり、なんとか勝点1を手にした試合だった。
 阿部と槙野がいなくなるという緊急事態の中で、選手が粘り強い戦いを見せ、さらにあのときのサポーターの声は、今季一番じゃないかと感じられるほど、パワーが凝縮され、素晴らしい一体感を生み出していた。
 そうした力、一つになる強烈な力を感じられるのが“浦和レッズ”であり、それこそが離れられない、情熱を感じる大きな理由の一つなのだ。
 だからこそ、と彼はまた思ってしまう。
 9月1日の引き分けてしまったダービーマッチ。選手がスタンドにあいさつに来る中で、試合中の声援よりも大きく感じるブーイングを彼は耳にしていた。
 そのとき、常にゴール裏でサポートをしている職場の後輩の言葉を思い出した。

 ≪ゴール裏にサポートに来て負けた後に、ブーイングをしている人たちが、それだけ大きな声を出せるなら、試合中に出してくれよって思います≫

 そのとおりだよなーー。
 彼は、そう思った。
 そして、20年の月日の中では、結構な数があっただろう試合後と同じように、なかなか難しいものだな、と感じつつ、いつものようにスタジアムを後にした。
                         <了>

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