利く言葉

 やるときはやる。
 ふだんは、普通にしているが、何かをやらなくてはならないときは馬力をかけてやる。それは大事なことだ。
 だが「やるときはやる」というのを、ふだん全力を出さないための口実にしている人が多いのではないか。たとえば俺だ。

 わりと人目に触れる仕事をしているし、「サポーター望年会」(今回は「開幕準備会」だったが)だの、後援会運営委員だの、仕事以外のことを熱心にやりたがる性格だから、さぞかしアクティブな人間に思われるかもしれないが、俺は間違いなくモノグサ太郎の仲間だ。こういうことをやろう、これが面白そうだ、という発想は浮かぶのだが、行動のエンジンがかかるまでに時間がかかる。エンジンをかけずに――かけようとしてかからないのではない、セルモーターを回さないまま――企画倒れで終わってしまうものは多い。

 日常の仕事は習慣にもなっているので、やるとかやらないとかの問題ではないが、たとえば本を書こうとか、何か大きなイベントをやろうとか、特別なことに取り組もうというときは、簡単にスタートできない。
 そもそも大学入試がそうだった。同級生がみんな勉強に集中し始める時期に、最後まで真面目に取り組まなかった。だから一浪したのだが。

 エンジンを回すにはきっかけが必要だ。俺の場合、そのきっかけは誰かの言葉であることが多い。
 その言葉とは、“励まし”であれば、きれいな話なのだが、逆の方が多い。その人が意図しようがしまいが、誰かの言葉に反発したときに、エネルギーが生まれる。反発というより怒り、と言った方がいいかもしれない。

 思い出すのが2009年に始まった宮崎キャンプ。この年から指揮を執ったフィンケ監督は、「ヨーロッパではそんなことはない」「日本のサッカー界がどうしてそうなのか理解に苦しむ」と質問者に嫌味を言うのが常だった。本人は嫌味のつもりはなく、サッカー後進国の日本に、サッカーの本場ヨーロッパでの常識を教えようという、伝道師のようなつもりだったのかもしれない。何せ元教師だから。
 しかし日本でプロリーグが始まってまだ20年足らずであり、サッカーは決して人気ナンバーワンスポーツではない。日本は日本の発達過程をたどればいいし、サッカー先進国の良いところは取り入れたり、ときには真似したりすることも必要だろうが、何から何まで「ヨーロッパではこうだ」と物差しを当てようとするのは無理があるのではないか。

 それに関して俺がずっと忘れない出来事があった。宮崎キャンプでの監督の囲み取材のときだ。
 フィンケ監督は、キャンプ中の選手への取材を嫌がり、

1日に何人かの選手をホテルでの囲み取材に供し、練習後の自由取材はシャットアウトという方針だった。その代わり、自分は2日に1度くらい記者の質問に答える時間を作る、という形だった。

 俺は「選手の部屋割りも監督が決めたのですか?」という質問をした。さまざまなことに気を遣い、管理が厳しいフィンケ監督だから、選手の情報をスタッフからあらかじめ聞き、それに基づいて、彼と彼を同室にしよう、ということまでやりそうに思えたからだ。
 イエスかノーで、いや、ヤーかニエットで答えられる質問なのだが、フィンケ監督は突然、語調を強くしてまくしたて始めた。これは何か地雷を踏んだかな、と思って覚悟して聞いていたら、モラス雅輝コーチが通訳して
「私は驚いています。ヨーロッパではこんな質問を受けることはありません。選手の誰と誰が同室かということを明らかにすることはありません。したがってヨーロッパのサッカー記者は、こんな質問をすることはありません。そして誰が部屋割りを決めるかというのは、チーム内部の問題です…」
 と、始まってしまった。

 言っておくが、俺は「誰と誰が同室か教えてください」とは一言も尋ねていない。俺が興味があったのは、この監督はそういうことにまで気を遣う人なのかどうか、だけだ。もちろん、その返事次第では、誰と誰が同室で、それはどういう理

由からか、という質問に発展する可能性はあったが、そこはまだ口にしていなかったのだ。
 ひとしきりヨーロッパの記者の“標準”を説明してくれた後で、フィンケ監督はこう言った。
「しかし今回は答えましょう。このキャンプの部屋割りを決めたのは私ではありません」
 それだけ答えてくれればそれで良かったのに、どうして質問してもいないことまで例に挙げて俺をこき下ろさなければいけないんだ!

 宮崎とはいえ、1月だから早朝はまだ寒い。キャンプのときは、なるべく自分も早朝ジョギングをしようと心がけている俺だが、午前練習に取材に行く時間を逆算すると、夜明けの遅い九州では、暗いうち、すなわち相当寒いうちから走り出さないといけない。ふだんならサボり心が勝ってしまうかもしれなかったが、その出来事の翌朝は、実にスムーズに、そしていつもより長く、力強く走ることができた。
 走りながら頭の中では、ずっとフィンケ監督に対する怒りが渦巻いていた。そう、俺はジョギングしていて苦しくなったとき、誰かに対する怒りを思い浮かべて「なにくそ、負けるか」と頑張り続けるのだ。この日、新たな怒りの対象ができて、エンジンの回ること回ること。まるでハイオクガソリンを入れたようだった。

 2009年の「さいしんコラム」、特に#206、#207などを読む

と、俺はフィンケ擁護派に見えるが、決してそうではない。あのときは、まるで競争するかのように記者の何人かが寄ってたかってフィンケの揚げ足取りをしたり、橋本代表(当時)からフィンケ批判の言質を取ろうとしたりしていることに腹が立って、正論を吐いただけだ。
 俺は、フィンケの欧州至上主義に疑問を持っていたし、あの「部屋割り質問事件」は忘れていないが、是々非々はわきまえている。個人の感情を一緒くたにすることはない。

 そんなわけで、今回の指宿でも雨のときを避けてできるだけ毎日走っていたが、つらくなったときの特効薬は、いまだに「部屋割り」問答だった。
 キャンプの最中だと、とりわけよく利いた。
(2014年2月21日)

 
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