笑われて感謝

 キャンプのときに、ほぼ毎日走っているからといって、日常的にそうしているわけではない。
 なるべく走ろうとは思っているが、モノグサ心と、本当に仕事が忙しくて、週に一度も走らない。キャンプでないと「部屋割り」問答も効果が薄いのかもしれない。

 なるべく走ろうと思っている理由は、ダイエットより体力作りだ。気持ちだけではなく、実際に頑張れる持久力を持っていないと、いざというときに戦えない気がして、それにはジョギングだ、と思っている。
 たぶん、これは昔読んだ弘兼憲史の漫画「夢工場」で、中年に差し掛かっている主人公が大きな仕事に備えて体力をつけるために、彼女の家から自分の家まで走って帰る、という場面に影響されているのだと思う。

 ところで、こんな俺がダイエットに本当に頑張った時期がある。
 1997年の暮れから98年の開幕までの間だ。
 81年に就職してから毎年順調に“成長”を続けてきた俺の身体は、97年にはピークに達した。当時の写真を見ると、正真正銘のデブだ。高校時代、大学時代を通して、ずっと65kgだった体重は、いつの間にか83kgになっていた。
 こりゃいかん、何とかせねば、と思っていた俺は、あることをきっかけに97年の12月から本気でダイエットに取り組み、

3か月後の98年開幕前は67kgにまで戻した。約3か月で16kgの減量だから、「before→after」の絶好の見本だ。

 本気で、といっても全くの自己流だ。
 朝食は、軽く茶碗一杯のご飯で、おかずはワカメを水で戻して皿に盛り、たいていはシラス(たまに納豆)を上からかけ、さらに辛いオリーブオイルを回しかけたもの。
 一応、炭水化物、カルシウム、たんぱく質を少しずつ摂取。ワカメで満腹感を出す、というコンセプトだった。また、脂肪を全面カットしてしまうと、逆に吸収しやすい身体になってしまうというから、太らないとされるオリーブオイルで、ダイエットに利くという唐辛子エキスを抽出し、塩分を減らすためにそれで味をつけた。
 昼食は外食だから手間をかけられない。たいていは、かけうどん、ざる蕎麦など、仕事をするのに必要な炭水化物を最低限摂るだけにした。
 夕食も外食が多く、昼とは違うメニューでほぼ同じものが多かったと思う。トコロテンやコンニャクもよく食べた。年末だったから忘年会など、宴会の機会も多かったが、欠席はせず、乾杯のビールに口をつけたら、1杯か2杯のウーロンハイを2時間かけてチビチビ飲んでいた。食べるのは、野菜系のものにした。

 飲食関係はそんな感じで、誰かに相談したわけではなく、

とにかく絶食するとか、アルコールを断つという極端なことはしなかった。周りにダイエット中だと宣言して気を遣わせるのも嫌だったので、極力普通にしていた。
 それでも、毎晩のように飲み、最後はラーメンで締める、昼食はかつ丼と大もりそば。という生活をして時期に比べれば、量的にもカロリー的にも雲泥の差だったはず。

 もちろん食べる量を減らしただけでなく運動もした。
 週に2回、多い時は3回、スポーツジムに行き、有酸素運動と筋肉トレーニングをした。汗を流した後、風呂に入り、上がると立ちくらみがした。倒れたことはないが、立ちくらみはある時期までずっと続いたので、やはりカロリー減に身体が戸惑っていたのだろう。しかし、止めなかった。

 俺が、頑張り続けられた理由。
 それは健康診断の半日ドックがきっかけだった。97年11月の終わりごろ、もらった健康診断の結果を見てヤバいと思った。ありとあらゆる項目に「要注意」「要加療」と書かれている。その結果を持って、医者の診察を受けたら、「これは相当ひどい。いつ、重大な病気になってもおかしくない」と言われた。

 さすがに節制しようと思ったが、たぶんそれだけなら上記のような食事制限は長く続かなかっただろう。特に忘年会シーズンでアルコールが少しでも入ると、もともと意志強固と

は言えない俺は、「今日はいいっか」と食べ始め、ふだんの空腹を埋めて余りあるほど飲み食いしてしまったに違いない。

 本当の理由は医者の一言だ。
「先生、どうしたらいいですか」と尋ねる俺に、医者は「とりあえずやせることですね。…83キロか。来年の春ぐらいまでに80キロを切るくらい…、でも難しいかな。はは」と、最後に笑ったのだ。まるで、「できるならやってみな。お前には無理だろうけど」と言われたようだった。

 笑ったな!ふざけんな!できるかできないか、見せてやるよ!
 本人の前に口にはしないが、心にそう誓った俺は、その晩ある決意をした。
「もう美味しいものを食べたい、という欲望とは決別する!」と。

 で、先に述べたような毎日が始まった。くじけそうになると、医者の「はは」という笑いを思い出し、頑張った。
 12月から始めて、年が明けるまでには80kgを簡単に切り、そこから見る見る体重は減っていった。70kgを切ったあたりから、減るスピードは緩くなったが、それでも67kgまで落ちた。大学時代より2kg多いのは、筋トレで筋肉がついたせいかもしれない。

 毎日、夕方になると、すごい空腹感が断続的に襲ってくる。それを乗り切るために考えたことは、スーパーの惣菜売り場などに行くことだ。夕飯の準備に合わせて、いろんな惣菜がフル回転で作られている時間帯で、周辺にはできたての料理の良い匂いが漂っている。そこへ行くと、もちろん空腹も刺激されるのだが、そこをこらえることで「ああ、俺は頑張ってるんだ」という思いを強くすることができた。

 自分が頑張っている、という気持ちをモチベーションにするのは、すごく効果があるものだ。「医者の笑い」もたまに思い出したが、年が明けて医者が言った「80kg」を切ってからは、もう医者には勝った気でいたから、ひたすら自分との闘いだった。体重計に乗らなくても、自分の身体が軽くなっているのは、あらゆる場面で実感できた。

 98年にレッズが始動し、久しぶりに俺を見た人は驚いたに違いない。
 MDPの増刊号のために原博実監督(当時)にインタビューした後、原さんはスタッフに「清尾さん、絶対にどこか悪いよ」と言ったそうだ。
 シーズンが始まってからは、立ちくらみするような食事制限はしなかったが、量はあまり増やさず、ジム通いも続けたので、67kgという体重はずっと維持していた。
 秋の健康診断は1年間楽しみにしていた。体重を見た看護婦(当時)さんが、「え! 清尾さん、どうしたんですか」と

びっくりした。問診してくれた医者が1年前の人ではなかったのが残念だった。「先生の一言のおかげです」と嫌味でなく御礼を言うつもりだったのに。数日後、届いた検査結果では、すべての数値が正常範囲に収まっていた。

 レッズがJ1に復帰したころからだろうか。別にそれで安心したわけではないが、徐々に体重が増え始め、独立してからは、さらにスピードが上がったようで、今また77~78kgを行ったり来たりしている。
 仕事の形態や内容が15年前とは変わっているので、あのときのようなダイエットはできないが、今度は「医者の笑い」を待つことなく、自分で自分にハッパをかけてみようかと思っている。
(2014年2月23日)

 
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